金沢城
| 西暦 | 年号 | 出来事 |
|---|---|---|
| 1546 | 天文15年 | 金沢御堂が創建される |
| 1580 | 天正8年 | 柴田勝家、金沢御堂を攻略する 佐久間盛政が入城する |
| 1583 | 天正11年 | 賤ヶ岳合戦の後、前田利家が金沢城に入城する |
| 1592 | 文禄元年 | 利家が利長に金沢城の石垣普請を命じる |
| 1599 | 慶長4年 | 内総構堀を造る |
| 1602 | 慶長7年 | 天守閣が落雷によって焼失する |
| 1610 | 慶長15年 | 外総構堀を造る |
| 1620 | 元和6年 | 金沢城が焼失する |
| 1631 | 寛永8年 | 金沢町の火災により金沢城が焼失する |
| 1632 | 寛永9年 | 辰巳用水を城内へ入れる |
| 1759 | 宝暦9年 | 金沢大火により金沢城が全焼する |
| 1788 | 天明8年 | 石川門の普請が完了する |
| 1808 | 文化5年 | 二ノ丸御殿が全焼する |
| 1809 | 文化6年 | 橋爪門、二ノ丸菱櫓の造営が完了する |
| 1858 | 安政5年 | 三十間長屋が完成する |
| 1871 | 明治4年 | 城地が兵部省(翌年陸軍省に替わる)の管轄となる |
| 1881 | 明治14年 | 金沢営所より出火し、二ノ丸など全焼する |
| 1949 | 昭和24年 | 金沢大学が開学する |
| 1950 | 昭和25年 | 石川門が国の重要文化財に指定される |
| 1957 | 昭和32年 | 三十間長屋が国の重要文化財に指定される |
| 1978 | 昭和53年 | 金沢大学が城内からの移転を決定する(平成7年移転完了) |
| 1996 | 平成8年 | 県が国から金沢城を取得し、金沢城公園として整備へ |
| 1999 | 平成11年 | 菱櫓などの復元工事着工(平成13年7月完成) |
| 2001 | 平成13年 | 全国都市緑化いしかわフェア開催 |
| 2007 | 平成19年 | 河北門の復元工事着工 |
| 2008 | 平成20年 | 金沢城土蔵(鶴丸倉庫)が国の重要文化財に指定される 金沢城が国の史跡に指定される |
| 2010 | 平成22年 | いもり堀、河北門の復元工事完成 |
| 2015 | 平成27年 | 橋爪門二の門、玉泉院丸庭園完成 |
| 2020 | 令和2年 | 鼠多門、鼠多門橋完成 |
(石川県HP引用編集)
| 金沢城公園 (石川県) | |
|---|---|
江戸町通りから望む金沢城石川門 | |
| 別名 | 尾山城、尾上城、金城 |
| 城郭構造 | 梯郭式平山城 |
| 天守構造 | 5重6階(1592年築) 御三階櫓(望楼型3重4階 1603年築)非現存 |
| 築城主 | 佐久間盛政 |
| 築城年 | 天正8年(1580年) |
| 主な改修者 | 前田利家・利長 |
| 主な城主 | 佐久間氏、前田氏 |
| 廃城年 | 明治4年(1871年) |
| 遺構 | 長屋・門・櫓・土蔵・土塀 移築能舞台・石垣・堀 |
| 指定文化財 | 国の重要文化財(石川門・三十間長屋・鶴丸倉庫)・国史跡(金沢城跡) |
| 再建造物 | 菱櫓・橋詰門・河北門・橋詰門続櫓・五十間長屋・鼠多門・玉泉院丸庭園 |
| 位置 | 北緯36度33分51.54秒 東経136度39分33.22秒座標: 北緯36度33分51.54秒 東経136度39分33.22秒 |
| 地図 | |
金沢城(かなざわじょう)は、加賀国石川郡尾山(現・石川県金沢市丸の内)にある日本の城。江戸時代には加賀藩主前田氏の居城だった。城址は国の史跡に指定されており[1]、城址を含む一帯は金沢城公園(かなざわじょうこうえん)として整備されている。
概要[編集]
金沢平野のほぼ中央を流れる犀川と浅野川とに挟まれた小立野台地の先端に築かれた、戦国時代から江戸時代にかけての梯郭式の平山城である(かつて「尾山」と呼ばれたのもこの地形にちなむ。台地先端を山の尾とみなした)。櫓門や土塀に見られる、白漆喰の壁にせん瓦を施した海鼠(なまこ)壁と屋根に白い鉛瓦が葺かれた外観、櫓1重目や塀に付けられた唐破風や入母屋破風の出窓は、金沢城の建築の特徴である。
この地は加賀一向一揆の拠点で浄土真宗の寺院である「尾山御坊(おやまごぼう、または御山御坊)」であった。寺とはいうものの大坂の石山本願寺(大坂御坊)と同じく石垣を廻らした城ともよべる要塞でもあった。織田信長が一揆を攻め落とし、跡地に金沢城を築いて佐久間盛政を置いた。後に盛政が賤ヶ岳の戦いで羽柴秀吉により討たれ、秀吉は金沢城を前田利家に与えた[注釈 1]。利家は文禄元年(1592年)から改修工事を始め、曲輪や堀の拡張、5重6階の天守や櫓を建て並べた。兼六園は、加賀藩四代藩主前田綱紀が金沢城に付属してつくらせた蓮池庭を前身とし、代々の藩主が改修した大名庭園である。
なお、金沢の地名は室町時代の文明年間には既に存在していたことが知られている[2]が、尾山御坊時代は金沢の小立野台地の先端すなわち山尾(尾山)にあったことから尾山の呼称が使われていた。佐久間盛政が新城を築いた時に一向一揆の印象が強い尾山ではなく金沢を城名に用いたが、前田利家が入城すると羽柴秀吉(豊臣政権)に敵対して滅ぼされた盛政命名の金沢城ではなく自身の出身地の尾張国にも通じる尾山を採用した。だが、金沢の地名が広く知られていたために尾山城の名前は普及せず(豊臣政権の公文書でもほとんど用いられていない)、利家自身も再び金沢の城名を用い始めたと推測されている[3][4]。
城址は明治以降、存城とされて軍施設が置かれたため建物の一部を残して撤去され、第二次世界大戦後には金沢大学が平成7年(1995年)まで置かれていた。
歴史・沿革[編集]
現地情報[編集]
- 金沢城公園 - 入場無料
- 菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓 - 大人:320円/小人:100円[20]
- 日本100名城スタンプ設置場所
- 二の丸案内所 (9:00~16:30)
- 石川門入口案内所
周辺施設[編集]
- 金沢地方裁判所
- 名古屋高等裁判所金沢支部
- 金沢簡易裁判所
- 金沢家庭裁判所
- 金沢法務合同庁舎
- 石川県観光物産館
- 金沢市消防局中央消防署味噌蔵出張所
- 兼六園(特別名勝)
- 尾山神社(神門は重要文化財)
- 尾崎神社(社殿4棟が重要文化財)
- 石川県政記念しいのき迎賓館(旧石川県庁)
- 白鳥路温泉



