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2024年1月29日月曜日

 日本の城 小田原城











 小田原城は、室町時代に西相模に進出させた大森氏が築いた城郭が前身とされているのです。



城の規模や築城年ははるかになりましていませんが、15世紀の中頃に造られましたのではないと思われています。



1500年頃、伊勢宗瑞(北条早雲)が小田原に進出し、以後、北条氏が5代約100年にわたり関東での勢力を拡大していったのでした。



小田原城は、関東支配の中心拠点として整備拡張されまして、豊臣秀吉の来攻に備え、城と城下を囲む総延長9kmに及ぶ総構の出現に至ってその規模は最大に達してしまった。



しかしていながら、天正18年(1590)、石垣山(一夜城)の築城をはじめとする秀吉の小田原攻めにより北条氏は滅亡し、戦国時代が終焉を迎えました。



北条氏滅亡後、徳川家康に従いまして小田原攻めに参陣した大久保氏が城主となって、城は近世城郭の姿に改修された。



そこから、大久保氏の改易にあたり、城の一部は破却されたが、稲葉氏の入城の際に再整備され、城の姿は一新された。



貞享3年(1686)に再び大久保氏が城主となり、小田原城は東海道で箱根の関所を控えた関東地方の防御の要として幕末に至りました。



小田原城は、明治3年(1870)に廃城となり、明治5年(1872)までに城内のすべての建物は解体されました。



後に、小田原・足柄県庁・神奈川県支庁の所在地となり、さらに明治34年(1901)には、二の丸に御用邸が建てられた。



でも、大正12年(1923)9月の関東大震災により御用邸のほか石垣もほぼ全壊し、江戸時代の姿は失われてしまおりました。



その後、昭和9年(1934)に隅櫓が再建され、昭和35年(1960)5月には廃城以来90年ぶりに市民待望の天守閣が復興されました。



続いて昭和46年(1971)3月に常盤木門、平成9年(1997)10月に銅門、平成21年(2009)3月には馬出門が完成しました。



小田原城は、昭和13年(1938)8月に二の丸・三の丸の一部が、昭和34年(1959)5月に本丸と二の丸の残り全部が国の史跡に指定されます。(小田原市ホームページ参照)







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