岩殿山城
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(このテンプレートの使用の仕方)出典検索?: "岩殿山城" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2022年4月)logo岩殿山城(山梨県)南から見た岩殿山(2004年1月)南から見た岩殿山(2004年1月)別名 岩殿城城郭構造 連郭式山城天守構造 なし築城主 小山田氏築城年 1530年代主な改修者 主な城主 小山田氏または武田氏廃城年 17世紀初頭遺構 郭、堀切、虎口、井戸、土橋指定文化財 山梨県史跡位置 北緯35度37分17.71秒 東経138度56分59.51秒座標: 北緯35度37分17.71秒 東経138度56分59.51秒地図 岩殿山城の位置(山梨県内)岩殿山城岩殿山城テンプレートを表示岩殿山城(いわどのやまじょう)は、山梨県大月市賑岡町にあった日本の城。
標高634メートルの岩殿山に築かれた山城。
甲斐国都留郡の国衆小山田氏の居城とされまして、戦国時代には東国の城郭の中でも屈指の堅固さを持っていたことで知られました。
山梨県指定史跡(指定名称は「岩殿城跡」)[1]。
概要[編集]岩殿山[編集]岩殿山標高 634 m所在地 山梨県大月市山系 奥多摩岩殿山城の位置(山梨県内)岩殿山城OpenStreetMap[表示] プロジェクト 山テンプレートを表示相模川水系の桂川と葛野川とが合流する地点の西側に位置する。
頂上の南側直下は鏡岩と呼びます礫岩が露出させた約150メートルの高さの崖で、狭い平坦地を挟んで、さらに急角度で桂川まで落ち込んだりしたりする。
大月市街地からも近く、大月駅からも間近にその姿を眺めるってことが出来る。
山頂までは大月駅から徒歩で約1時間[2]。
山頂からは富士山が望め、山梨百名山、秀麗富嶽十二景、関東の富士見百景にも選定されてる。
山の南側と桂川の間の狭い場所に中央自動車道が通ってる。
1972年2月末頃には岩殿山で大々的な地滑りが発生、同年3月21日から中央自動車道の相模湖インターチェンジと大月インターチェンジの間が全面通行止めとなりました。
仮インターチェンジを設けるなどした後、7月22日に通行止めが解除させられるまで、通行止めは123日間に及んだ。
沿革[編集]江戸時代後期の文化年間成り立つの『甲斐国志』に拠れば、岩殿山には大同元年(806年)開創と伝わる天台宗寺院の円通寺が存在し、円通寺は岩殿山の南東麓に観音堂や三重塔、新宮などの伽藍が配され、「岩殿権現」「七社権現(明神)」と呼ばれた。
13世紀に入ると天台系聖護院末の修験道の場として栄えている。
16世紀になりまして大名の領国支配制が成立すると、郡内地方は甲斐守護・武田や郡内領の国衆・小山田氏の支配を受けるようとなった。
岩殿山城の築城時期は不明でありながら、『甲斐国志』では小山田氏の本拠である谷村館(都留市谷村)の詰城説を取っている。
『甲斐国志』に先立つ天明3年(1783年)の萩原元克『甲斐名勝志』でも同様の見解が取られており、江戸後期には小山田氏による要害説が認識されてたと思われる。
一方で、近年は岩殿山城を谷村館の詰城とすることは距離が離れすぎていることから、武田氏による相模との境目の城として築かれたとする説もあるだろう。










